たたかってみ

生きているんだ

反結婚派としての意見。女、24歳、彼氏なし。その2.

先回は恋愛を肯定する人たちが、われわれのことを悪だと思っているのではと纏めた。

この回では、私が恋愛をしたくない、反結婚派と自分を言い切ることのできる本当のところを解いていきたいと思う。

 

 

私は、恋愛こそが悪だと思う。

 

この言葉に尽きる。

恋愛こそが、悪である。

 

”犯人の動機は、恋愛関係の縺れです。”というお決まりのフレーズがあるように、恋愛は十分に殺人の動機になり得る。

”浮気されたことを知ったので、相手を殺してやろうと思った”

”告白したのに、取り合ってくれなかった”

”親友だと思っていたのに、好きな人をとられた”

上げればきりがないほど、人間は恋愛をすることにより自我を失い、強引な方法で自分を慰めようとする。その結末として自分や人を殺めてしまう。

確実に、”恋愛”が引き起こした惨劇だ。恋愛をしなければ、こんなことにはならなかった。自殺の動機にもなり、他殺の動機にもなる、恋愛を肯定することがどうして出来ると言えようか。

 

三島由紀夫も、著書「反貞女大学」の中で、

 

”恋してはいけない! 恋したら怖ろしいことになる! 恋したらだれかが死なねばならぬ!”

 

と言葉を残している。この一文はTwitter上で見かけたものなのだが、まさにその通りだと感嘆した。しかし、この文章を調べてみると、この言葉は、不倫関係に陥った時に相手に対する想いへ忠告する一文であり、”恋愛”そのものを否定する言葉ではないことが分かった。

不倫関係にある相手に対してだと思えば、多くの恋愛肯定派の方々にも、この言葉がすんなりと心に響き、理解できるだろう。

だが、それは必ずしもそういった場合のみで通用するわけではない。

やはりこの言葉こそ、真理をついていると私には思えるのだ。

 

恋愛は人を死に至らしめる。

 

しかもそれは、いつどのタイミングでやってくるかわからないのだ。

可能性を常にはらんでいて、いつ衝動が襲ってくるのか予想できないのが、恋愛という悪である。

先述のように、三島由紀夫は不倫関係に陥った女へ対して、”恋してはいけない!”と説いたが、ほんとうの、肝心な部分はそこではない。

冗談でも、僻みでも、妬みでもなく、私はただ本当のことをここに記す。

 

”恋愛はするべきではない。”

 

もしあなたが今恋愛をしようとしているのならば、一度考え直してほしい。

それは、あなたにとって、生命にかかわるとても重大なことになりかねない。

 

恋愛をすれば、かけがえのない人とめぐり逢ったような気分になり、その人なしでは生きられないと錯覚するようになる。その人と一緒に同じ時間を過ごすだけでも、人生に価値があるように思え、自分が辛い現実に打ちのめされそうになったとしても、恋愛をしていることで活力が生まれ、生きていく動機になる。

常に寄り添って、常に味方をしてくれる存在が恋愛によってもたらされることは、天涯孤独の人間にとってはとても有意義なことで、意味をなす存在であろう。

 

だが、そんな存在を不意に失うことになってしまった時の苦しみは、計り知れない。

どんなものにも代えられない、どんなものでも補うことのできない切ない思いをたった一人抱えて生きていかなければならない羽目になり、それまで順風満帆と思えた人生も、その瞬間から、まさしく地獄と化す。すべてが試練のように感じられ、遠い誰もいない世界に放り投げられた孤独感。自分以外の誰にも理解することのできない絶望を味わう。

手に入れた分、確実に、失う。

 

恋愛によってもたらされる幸福は一時的なものでしかなく、あなたを本当の意味で理解し、支えることができるのは、あなた自身しかいないのだ。