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たたかってみ

生きているんだ

苦悩と呼ぶもの。自分は生きる人間だということについて。

たまに、自分の体が自分の意志によって動かされていることに対して、違和感を感じることがある。今ここで、自分が席を立ちあがり、ジャンプしようとすれば、体はその通りに動くし、職場を抜け出して、銀行へ強盗にいくことだってできる。途中、近くのコンビニによって、万引きをしてもいいし、持っているライターで火をつけることも可能だ。

 

頭の中であれこれと想像するだけのことや、何でもない普通の動作さえ、すべては自分の意志によるもので、自分自身がそれを選択し、それが行動に反映されているということ。

自分の意志や、思考が、体という道具と結びついていることに底知れない不安を感じる。どうして、私の意志によって、この体は動きまわり、言葉を発したりすることができるんだろう。

仕組みや原理ではなく、すべて自分の意思決定によってもたらされた結果の行動なのに、どうしてこの自分自身を選択することはできなかったのだろうか。

私には独立した意思の下で、自分というたった唯一無二の体を選択した。

どうして私自身を選んだのか、どうしてここに座っているのは私という人間であるのか。そもそも体とは容器、道具でしかないのでは?

何事にも理由付けができて、原因が必ず存在するのならば、どうしてこんな一番身近な自分自身のことですら、理解できないのだろうか。

そもそもこんなことを考えること自体が間違っている?

誤った考えとは、ある一定の事柄に対しての解釈についてであり、それ自体を疑問視する過程については、そうであるとは言えないと思うが。。

 

なんで多くの人はこうやって当たり前のことに疑問を抱こうともしないんだろうか。

自分と同じことや同じ違和感を感じているほかの意志を持った人々はどうやって、この問題に対して答えを導き出してきたのだろう。

 

映画や、ドラマ、小説など、人間の想像力はどうやって生まれるんだとあなたは思いますか?

一度も経験したことのないことなのに、どうして空想の世界は限りなく広がっていくのか。空を飛んだ経験がある人間はいない筈なのに、タケコプターという発想はどこから来たの?

 

経験のないことを作り出す力は、どうして備わっているのだと思いますか?

何のために?というのではなく、なんで、それができるのか。そして、どうしてそれが実現できないのか。

 

出来ることとできないことがあるのはなんででしょうか。