たたかってみ

生きているんだ

反結婚派としての意見。女、24歳、彼氏なし。その3.

三回目のこの記事では、恋愛を通じて幸せを得ることへのリスクをあなたに伝えたい。

人間は常に一人きりで生きている。だから友達や仲間を作り、共存していると自分に言い聞かせることで、毎日を生きる活力が沸いていく。

だが、恋愛はそれをも一瞬で打ち砕くような強力な破壊力を持っている。

生命の維持に関わる精神的苦痛を与えかねない。

その欲求を生み出しているのは、性欲であり、本当の意味で、それを解消する術を身に着けさえすれば、恋愛、ひいて結婚という対人間との無意味な関係を構築する必要がなくなるのだ。

 

人間は、必ず死ぬ。

 

将来人間の存在意義そのものが変わって、生に対する考え方が一変するその時までは、確実に、人は生まれた瞬間に死ぬことが確定している。

 そんな儚いたった一度きりの一生の中で、苦しみを抱えて生きていくことは、どれだけの時間とお金と、労力を消耗していくことだろう。

 

たとえ、あなたの目の前にいるその人が、あなたにとってかけがえのない存在だと思えても、決して早まってはいけない。人間は、必ず死ぬのだ。

 

我々は、生きながらにしてどの瞬間でも、快楽を求めている。本能的に、自分を喜ばせ、幸福感を感じたいと思う生き物なのだ。だから、お腹が減ったらたらふく美味しいものを食べたいと思うのと同じように、何かを手に入れたいと思う衝動は生きる上では仕方のないことだ。

そしてその欲求のなかに、恋愛というキーワードが確実に存在する。自分以外の人から愛されることへの喜びを、恋愛という行為を通じて得ようとする。

 

欲求を満たすために、恋愛をする。

 

一度本能的な人間の真理に立ち返ってみてみればそれは明らかだ。

だが、技術革新が進んだこの現代社会において、恋愛というような相当なリスクを背負ってまで、幸福感を得ようとする我々人間の行為は、あまりにも動物的であると言わざるを得ない。

 

そんな本能的な衝動を抑えることについては、今までの人類の歴史から見ても、次第に解消されるべき問題であり、その本能のまま生きていくことは、果たして賢い人間のやることといえるのであろうか。

 

恋愛をして、性欲という名の幸福感を満たそうとする行為。わたしはそれが浅ましく、汚く感じられるのだ。

ドラえもんの世界が実現される一歩手前まで来ている近未来的な世の中に変わりつつある現代なのに、人間のそういう根本的な欲求の解消方法はいまだに変わらずにある。

普遍的なものもあるべきだという見方からすればこれは唯一の美徳なのかもしれないが、わたしには全くそうは思えない。

三大欲求を満たすことが人間の生きていく上での重要な要素だとしても、これからの時代も常にそうであるとは限らない。

 

現に、睡眠時間を削ったとしても即死には至らない。致命的でなければ、しかるべき処置をすることで、いくらでもまた元気に走り回ることが可能だ。

食欲を抑える薬だってあるし、最悪何かを食べなくても、何かしらの形で栄養を補うことさえできれば、生命の維持にはなんら問題ない。

性欲だって同じことだ。それを結びつけるのに、恋愛が必要だと非科学的な答えがあるのも事実だが、実害はないのだ。なくても、生きていける。これが答えである。